知識記事

2018-09-04

ごまの歴史

ごまの故郷はどこ?

ごまはとても小さいですが、その美味しさと栄養に人類は数千年もの間、称賛してきました。今では数多くの料理やデザートに、ごまは欠かせないものとなっています。このような素晴らしいものは、一体誰が発見したのでしょう?

古代文明の歴史、神話、遺跡の中など、既に紀元前三、四千年のエジプト、古代メソポタミア文明からごまは登場しています。しかし、名古屋大学大学院生命農学研究科前教授、愛知学院大学現教授である大澤俊彦先生はごまの発祥を調べている際に、ごまは数千年の歴史の間に世界中で品種改良が行われてきたことを発見しましあ。また、現在わずかに現存する野生のごまは、いずれもアフリカのサバンナで生長していることから、「ごまの発祥はアフリカのサバンナ地帯」と推論されます。大澤教授のこの学説は、世界中の学者や専門家から支持を得ました。

アフリカのサバンナで生長する野生のごまは、サバンナで人が狩りや耕している時に発見され、口にすることで脂肪、タンパク質、ミネラルの補給を行うことのできる食物となりました。また、ごまの美味しさは飲食環境が乏しい生活に置かれている人々に衝撃を与え、「口の中に芳醇な香りが広がり、滑らかな口当たりで美味しい」という感覚を初めて体験する事となりました。

そして、ごまは人類の移動に伴い、栽培が広範囲にわたります。アフリカのサバンナ北部にあるサハラ砂漠を越え、古代文明時代の北アフリカのエジプト、モロッコに伝わり、その後はヨーロッパ、アジアに伝わっていきます。十七世紀の大航海時代に入ると、ごまはヨーロッパ人による奴隷貿易を通じてアメリカ大陸に渡り、栽培されるようになります。

古代エジプト人が熱烈に愛するごま!

聞くところによると、古代エジプト商人はナイル川を泳いで南下し、サバンナの住民と交易を行ったそうです。そして、ごまの香りと味わいを体験すると、ごまを大そう気に入ったそうです。商人は牛一頭とごまの種子一粒を交換するように頼み、そしてエジプトにごまを持ち帰り栽培します。

ごまは古代エジプトの肥えた沖積やサバンナに蒔かれ、大規模栽培と生産を行い、隣国の集落とやり取りする際の重要な貿易商品となりました。古代エジプト人は、徹底してごまを利用しました。ごまを搾油し、調理、医薬品、美容・化粧のための保湿オイル、ミイラ製作時の防腐剤として使用しました。考古学者は古代エジプトのピラミッド、墓、遺跡からごまが発見されています。聞くところによれば、クレオパトラは全身にごま油を塗り、肌のお手入れをしたそうです。また、彼女が使用しているアイシャドウは当時エジプトで流行した化粧法によるもので、ごま油にマラカイト、方鉛鉱を調合して粉末にし、目の周囲に塗ることで若々しさを保つというものでした。

オリンピック選手がごまを食べて体力を養う、

ごまはエジプトの貿易により、ギリシャ、ローマに伝わりました。古代ギリシャ、ローマ人は、ごまは健康に有益な高級食材であり、重要な農作物として見ていました。当時のギリシャの医者であり、後の西洋医学の父となったヒポクラテス(Hippocrates)は、「食べ物は最良の薬である」という観念を提唱し、人々に栄養価の高いごまを摂取するよう奨励しました。オリンピックに参加する選手は体力を多量に消費するので、試合前はごま多く摂取し、十分なエネルギーを補給したそうです。

古代ギリシャに存在する数多くのポリスの一つであるスパルタは武力を尊重し、厳格な軍事教育訓練により強健な兵士を輩出しています。常日頃から、軍隊の将校は兵士たちにごまを摂取するよう求め、さらには戦場にごまを兵糧として携帯しました。ごまの栄養を摂取することは、体力の維持と回復につながります。

ギリシャ、ローマの一般民衆は、ごまをはちみつと混ぜ合わせて焼くことでパステリを作り、日常生活においてもよく食べていました。

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